思考・鬱病・未来

会社員。24歳。日々の思考の記録。

2020年7月18日(土)

 

自分の人生にとって自分が主役ではないという感覚を、いつから抱き続けているだろう。

俯瞰、なんてかっこいい立ち位置ではなく、もっと微妙な距離感で、私は私に向き合い続けている気がする。

 

現実に対して現実感がなく、未来に対して視界は霞み、過去に対して解像度が粗い。若さ故と言えるほど若くもなくなってしまった。自分に何が残っているだろう。

 

七月、梅雨が長い。夏の終わりには新しい場所で、新しい生活が始まる。生活なんて、したくもないのに。

 

自分を持て余し続けている。あるいは、自意識を。

 

「やめたい」

「何を?」

「すべてを」

 

2020年5月24日(日)

 

「ねえ、どうしてそんな簡単に言葉を放り投げることができるの?」

「ねえ、どうしてそうやって放り投げた言葉の行方を気にしないでいられるの?」

 

窓の外、どこかで布団を叩く音がする。日曜日、夕方16時。まだ空は高い。

大丈夫、まだ休日は終わってないよ。

 

液晶の向こうで、言葉があまりにも軽い。

その軽さにいちいちたじろぐ自分は多分、2020年に向いてない。

 

2020年だっておそらく私を歓迎していない。

 

そんな世界でこれ以上生きているふりをし続ける

理由などあるのでしょうか。

 

理由などなくても死ぬまで生きているふりをし続けなければならないものなのでしょうか。

 

そうだとしたら、あまりにも酷い仕打ちだと思いませんか。

 

そちらの世界はどうですか。少なくとも生きているフリをする必要はなさそうですが。

それでも、そちらにはそちらの世界なりの苦労があるのでしょうね。

 

そんなことは百も承知ですが、もうさすがに疲れました。

 

疫病・2020・Stay Home ・ Read Books

 

2020年5月。

かわいい名前のウイルスが世界各地で猛威を振るい、人々は接触を禁じられ、「新しい生活様式」を模索している。オリンピックは延期になった。

 

世界の混乱をよそに穏やかな鬱状態は続く。向精神薬は増えたり減ったりを繰り返し、相変わらず弱く依存している。本を読んでるときくらいしか、生きている実感がない。

 

だから、本を読んでいる。以下、読んだ本の話。

 

・大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

表題作が至高。若くて繊細で神経質な人間(こういう人は一定数必ずいる...はず)と社会のお話。器用に生きられないタイプの人たちをそっと抱きしめるようなやさしい視線が随所に感じられて、作者とこの作品が好きな人は無条件で信じられるような気がする。気がするだけですが...。

 

・乗代雄介『最高の任務』

これも表題作が最高。『ぬいぐるみ〜』に負けず劣らずやさしい人(たち)のお話。同じ作者の「本物の読書家」と同様に情報を小出しにしながら、最後まで読者を惹きつけるような構成に完全にやられる。そして(例によって)最後の場面で感動する。我ながらチョロい。読んだ後にしみじみと「良い本読んだ」という感慨が押し寄せる。

 

・木村友祐『幼な子の聖戦』

現代の(本当に酷い)社会や政治の状況を捉えながら、あくまでフィクションとして読み応えがあり抜群に面白いという意味では、同作者の『野良ビトたちの燃え上がる肖像』とも通底する。併録の話題作(?)「天空の絵描きたち」も普遍的な面白さがある。

 

・李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』

現代の(本当に酷い)社会や政治の状況をさらに煮詰めた先で、絶望へとひた走る若者の姿を描く群像劇。木村作品同様に、まず小説として抜群に面白い。そして後味は悪い。ただ、その後味の悪さは誰のせいなのだろうか。間違いなくいま読むべき文学の一つ。

 

ここに挙げた4作品は図らずも、日本の現代文学に新しい感性を吹き込むような作品になっていると感じる。願わくば、これらの作品がより多くの人に読まれることを。そして、それぞれの作者の次回作がまたさらに素晴らしいものになることを期待して。